分析的思考の重要性
(2021年12月 ブログ投稿)
今回は、
分析的思考=クリティカル・シンキング
についてのお話です。
クリティカル・シンキングの定義のひとつは、
あらゆる物事の問題を特定して、適切に分析することによって最適解に辿り着くための思考方法。
批判の定義については論者によって異なるが、共通的には、単に否定的になるのではなく、
自身の論理構成や内容について内省することを意味する。
その方法論としては、考察対象をよく理解すること、間違った推論を起こす暗黙の前提を明らかにすること、証拠について評価したり、循環論法や人身攻撃など論理的な誤りを避けるための誤謬についての理解といったこと。21世紀に入り、批判的思考を教育カリキュラムに取り込む動きがある。
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
【参考記事】クリティカルシンキング
https://www.recurrent.jp/articles/critical-thinking
日本語では「批判的思考」とも訳されます。
私がワークショップや当ブログで「建設的批判力」について話すことがありますが、
それはこのクリティカルシンキングのことであると言えます。
今の社会情勢の中で、
私がこの「クリティカルシンキング」が非常に大事だと感じているのは、
「何が起きているかよくわからない」ことを整理して見極めるために必要な思考法である、
と感じるからです。
まず、
何かについて「判断」する時に大事なことを羅列してみます。
1)「事実」と「情報」を整理する
・事実をありのまま見てみる
・様々な方向の情報を手に入れる
・情報をできるだけ「ニュートラルに」見る
2)情報と事実が合致しているかを見る
3)直感を働かせ、尊重する
これらを踏まえて、最後に、
総合的に考え、
自分の意見はどこなのか?を見極める
…なんだかムズカシイですね(^_^;)
ひとつずつ補足していきましょう。
<(1)「事実」と「情報」を整理する>
・事実をありのまま見てみる
「事実」というのは、「実際に起きている現実」です。
ニュースではなく、SNSではなく、
不安や恐怖から見たことではなく。
事実=リアリティ(現実)は、
どんなに偉そうな人やメディアが「最もそう」に言っていたとしても、
それとは異なります。
私が目にしている「現実」はどういうものか?
ということです。
・様々な方向の情報を手に入れる
まず思考法の基本として、
意識の研究家であるエハン・デラヴィさんが、
2021年12月4日に開催された
「エハン・ソニアのZOOM講演会 グランドフィナーレ」で、
「物事の考え方」について、
とても分かりやすく解説されていましたので、そちらを引用させていただきます。
(※この講演についてはブログの最後にご紹介しています)
エハンさんは、
ひとつの「情報」にはまず【定説(グローバルスタンダード)】があり、
まずはそれを尊重してみることが必要になる。
その一方で【反説】も見てみる。(ニュートラルな視点で)
そして「事実」を見る。(何が起きていたか)
これらすべてを踏まえた上で、状況を「判断」することができる。
というお話をされていました。
私が言いたいのはまさにそういうことです。
私たちはどんなに気をつけていても、
「自分が思っていることを増幅させる」ような情報を引き寄せ、
それが正しいと思い込んでしまいます。
エハンさんはそれを
「私たちは生まれた時からそれぞれの人にとっての「当たり前」を刷り込まれているからだ」
と言われていました。
だからこそ、自分の考えと同じ方向の情報だけでなく、
「反対側」も見てみる必要があります。
そして、情報には「スタンダード(定説)」があることも事実であり、
一般的なものの見方としてそれを無視することはできません。
自分の考えはさておき、まずそれを見てみる必要があるのです。
一方で「定説」が正しいとは限りません。
だからこそ、さまざまな方向の情報を見てみる必要があります。
・情報をできるだけ「ニュートラルに」見る
ニュートラルに見る、ということは、
事実を見る時と同じで、
不安や恐怖からではなく、冷静な視点から情報を見るということです。
私たちはどうしても不安や恐怖から物事を見て、
誤った判断をしてしまいます。
それを避けるためにはまずその自覚が必要です。
「今、自分は不安や恐怖から見ていないか?」と、常に自問しなければなりません。
<(2)情報と事実が合致しているかを見る>
事実と情報が整理できたら、それが合致しているかどうかを見てみます。
合致しているならそれでOKですよね。
しかし、もしも合致していないならば、
見ている事実は何らかの特別な事情(情報には含まれていない別のファクター)
が絡んでいるということなのか、
情報が真実ではないということなのか、
何かしら理由がある、ということになります。
<(3)直感を働かせ、尊重する>
理論的に考えるだけでなく、直感も大事です。
「なんか変」
「なんかおかしい」
これは大事な、誰にでもある「第六感」です。
「そんなことはあるはずがない」という思考があると、
第六感はうまく働かなくなってしまいます。
実際にはその第六感が正しかった、ということはよくあるにもかかわらず、
多くの人はそれを採用しません。
本当は「理屈ではなく感覚ではどう感じるのか」ということも、
重要なポイントになるのです。
そして全てを踏まえて、総合的に全体を眺め、
自分はどう思うのか、
どの地点を「採用」するのか、
見極めていき、「自分の意見」を決定します。
(ちょっと休憩ね)
さて、最初の話に戻ります。
こういったバランスの良い思考で物事を考えるには、
「クリティカルシンキング」が必要です。
私たちはそれぞれ、「自分の考え」があります。
それは合っているかもしれないし間違っているかもしれない。
でも、「自分はこう思う」というのは、自分の中では真実です。
自分の人生ですから、
基本的にはそれを採用して生きていけばよいのですし、
それが大事なのですが、
「とある事象」に対して「これはどういうことなのか?」
ということを見極めようと思った時には、それだけではクリアーには考えられません。
偏った考えによって勘違いや間違った理解をする可能性があります。
だからこそ、
大事なのは「本当にそうかな?」という視点です。
それは思考における柔軟さ、寛容さです。
私たちに必要なのは「柔軟な思考力」なのです。
(柔軟です!! (=^・^=) )
【柔軟な思考力は、精神感情面の健康に左右される】
このブログのテーマである「健康」と関連させて、
ここまでの話を考えてみましょう。
クリティカルシンキングに必要な柔軟な思考力、
物事を判断する明晰さは、
精神感情面の健康度に影響されます。
精神感情面がバランスを崩せば、
不安や恐怖が大きくなり、冷静に物事を考えることができません。
ニュートラルに物事を見ることもできません。
だからこそ、心の健康が大事なのです。
「自分が正しいと思ったことについても疑ってみる」
という行為ができるかどうか、ということも、心の健康と関係します。
心のバランスが崩れていると、自分の意見に固執してしまい、
「自分も間違っているかもしれない」とはなかなか考えられません。
話は少しずれますが、
新興宗教には、「頭の良い人が騙される」という傾向があります。
もう少しはっきりいうと、「頭が良くて自信のない人」です。
いわゆる頭の良い、インテリジェンスな人たちは、
思考力そのものはありますが、
そもそもの基準が高いために自信がない人が多い。
すると
「自分は他人とは違うことを理解できている」
ということを手に入れて自信をつけようとしてしまいます。
そのために、「ハマって」しまうのです。
「自分は理解できる」
「自分は騙されたりしない」
というエゴによって、すっかりそこにのめり込んでしまいます。
(これがマインドコントロールです)
なぜこういうことが起こるかというと、
精神感情面が健康ではないために、思考に対する柔軟性に欠けてしまうからです。
つまり
一つの方向に「ハマりすぎない」でいられるのにも、クリティカルシンキングが重要、
ということになります。
【「本当にそうかな?」という思考の重要性】
自分で実験したり体験したわけではないなら、
究極はどの情報も信憑性がありません。
例えば、
「これが研究結果だ」
「これが最新のデータだ」
「査読論文の内容だ」
などなど、
最もそうなことを言われると信じてしまいがちですが、
自分が調査したわけでもないのですから、
どれも真実であるかどうかはわからないのです。
偽証されている可能性だってあるからです。
だからこそ、「事実とすり合わせてみる」ことが大事になります。
本当にその情報が正しければ、「事実」があるはずだからです。
一方で、
もし一定のルールを採用するならば、
反説が出てきても採用してみるべきです。
つじつまが合わなくなるから、です。
自分にとって都合の良い情報だけを採用するなら、
それは客観性には欠ける意見ということにしかなりません。
例えば、
どこかの公式発表を採用するなら、
そこが自分の意見とは違う、都合の悪いことを発表しても、
一旦はそれを受け入れて考察すべき、ということ。
多くの場合、そうなると冷静に受け入れられず、見ないことにしてしまったり、
「そんなことはあり得ない」と言ったりします。
自分の意見と違う情報があったり、
自分の意見と違う人がいたからといって、
それで自分の存在を否定されたわけ
「自分の意見」と「自分自身」は別物ですから、混同しないように気をつけないといけません。
「そういう情報(意見)もあるのか、じゃあどういう風に考えようか、
それは本当なのかな?それとも?」
つまりは、
そうかもしれないしそうじゃないかもしれない。
そういったニュートラルな視点で様々な方向から考えられること、
それがつまり、「クリティカルシンキング」なのです。
(オレがさかさまなのかもしれないが
オマエがさかさまなのかもしれない)
【想像が創造を呼ぶ】
一方で、最終的には
「自分は何を望むのか?」
「どうだったら良いのか?」
に意識を向ける必要があります。
この世界は、
私たちが意識を向けるものが増幅されるしくみになっているからです。
だからこそ、「想像が創造を呼ぶ」のです。
自分の意識が創り出す世界なのだから、
「どうだったらよいのか」
に意識を向けなければなりません。
これは自分の内側のことだけでなく、自分をとりまく世界に対しても同じこと。
「ここがヒドイ」
「こんなのおかしい」
そういうことにばかり意識を向けているのであれば、
結局はその「おかしな状態」にエネルギーを与えている
ということになります。
怖いこわいと、
不安や「起きるかどうかわからないこと」に目を向けるのではなく、
「どういう世界を自分は生きたいのか」
に意識を向けるべきであり、
それこそが一番重要なことであると思います。
冷静に見ていけば、おかしなことだらけであることは明白です。
だからこそ、
こんな状況はさっさと終わって、自由であり、
お互いを尊重でき、行動や思考をコントロールされることのない、
健全な世界に自分はいる、
と意識することが大事ではないでしょうか。
あなたは、どんな世界にいたいですか?
ぜひ、1日に1回はそこにフォーカスしてみてください。
※エハン・デラヴィさん プロフィール
1952年スコットランド生まれ。幼少から神秘的な世界にひかれ、22才より日本で生活を開始。
流暢でユーモラスな日本語で全国講演をしながら、世界隅々から収集したニューパラダイムに関する情報を伝えている。
妻の愛知ソニア氏との共訳など、著書・訳書多数
https://echan.jp/
※上記で紹介した12月4日の講演の前半がyoutubeで見られます!↓