私たちは感情を上乗せしている(その2)
(2020年10月 ブログ投稿)
私たちはネガティブな感情を感じた時、
多くの場合、人に転嫁させてしまいます。
でも、
相手がどんな態度であれ、
出てきた感情はその人の責任ではなく、
自分の責任です。
そしてそのことを受け入れない限り、
苦しんでいる場所から抜け出せることはないのですが、
私たちはなかなかそれを受け入れられません。
精神面、感情面の成長が未熟で、
自分の中で起きたことを自分自身で責任を取るだけの力がないから、
ともいえます。
だからこそ、
相手(外側)を理由にできるような出来事を無意識に捜し出し、引き寄せます。
そしてその出来事に自分の内側にあるものを「上乗せ」するのです。
例えば怒りは、
自分が怒りを感じることを正当化できた場合にのみ、表出される感情です。
(その1を参照のこと)
つまり、
目の前に自分にとっては「どう考えてもひどい」と思う出来事があれば、
怒りを「正しい感情」として表出することができます。
(セルフイメージの低い人は、
なかなかその怒りに正当性を感じることができず、
表現できずに溜め込んでいきます)
出せないよりは出せる方が良いのですが、
うまく出せないでくすぶっていると、
「出しても良い」出来事を無意識に探していくことになります。
あるいは自分のその感情を揺さぶる存在を引き寄せます。
子どもなどはその最たる存在ですが、
当然ながらパートナーや親兄弟、
職場の上司だったりすることもよくあります。
誰かの態度が悪いのだから(ひどいのだから)
私は怒ったり、イライラしたりしても良いのだ、
ということにするのです。
しかし、何度も言いますが反応するかどうかはその人次第。
もし自分が何かによって大きく揺さぶられているならば、
「なぜ私はこんな感情に振り回されているのか」
「なぜこの人はこんな態度を私に取るのか」
と思ってしまうならば、
自分自身が非常に便利なカラクリを使って逃げていることに
気づかなければなりません。
では、自分に自信がなくて、
何かが起きると自分を責め、
自分に対して怒る癖がついている場合はどうでしょうか。
実際にはやっていることはどちらも同じです。
「相手」が自分自身になっているだけのこと。
なぜ自分自身に向かうのかといえば、
他人にエネルギーを向ける強さがないからです。
自分自身を責めてしまう場合には、
「本当は誰を責めたいのか?
誰に対して怒りたいのか?」
を見なければなりません。
そして外側の誰かであれ、
自分自身であれ、
責めている、怒っている自分は
「本当は何に反応しているのか」
を見ていかなければなりません。
目の前で起きたことや言われたことは、
ただの「きっかけ」に過ぎないからです。
(キッカケは、オマエだニャ~!!)
心の奥にあるのは一体何でしょうか?
「こうするべきだ」
「こんなのはおかしい」
「あちらが間違っている」
という正義感でしょうか?
「私のことをわかって欲しい、認めて欲しい」
という承認欲求でしょうか?
プライドでしょうか?
それとも…?
あなたの本当のところを支配しているのは、
一体何なのでしょうか。
(ここから動きたくない、という気持ちデス)
ひとつはっきり言えることは、
視点を変え、
自分から行動を変えない限り、
問題は解決しない、
(怒りやイヤな感情が収まることはない)
ということです。
どんなにあなたが正しくても、
それをどれだけ主張しても、
相手が自分の欲求に見合った言動や行動をしてくれるようになどなりません。
もしも仮にそうなったとしても、
あなたの感情は解決はしません。
本質的には変わっていないからです。
別の似たような出来事に注目したり、
そのような出来事を引き寄せたりして、
同じ感情をリフレインし続けます。
傷ついた
腹が立った
と、感じたのはあなた。
皆が同じ反応になるわけではありません。
「何を感じるかは自分自身の問題である」
ということを受け入れていくしか、
解決方法はないのです。
(見えているのは、氷山の一角。)
「円錐」は上から見たら丸く見えますが、
横から見たら三角です。
どちらも間違いではないのに、
片方からしか見ていないと片方は間違いに見えます。
そして互いに「あなたは間違っている」と相手に問題を投げつけます。
よくある話です。
でも本当は「円錐」です。
つまりどちらも全体を見てはいないのです。
片方の発言の視点をもう片方が理解できないと、
発言を断片的にしか捉えられず、
理解は歪み、こじれていきます。
でも、視点を変え、
相手を(自分を)理解することで、
抱いている感情には変化が訪れます。
「私の主張は正しい」
というエゴから離れて、
全体を見る冷静さと強さを身につけていきましょう。
大事なのは、
相手に対する(相手の状況に対する)
思いやり、想像力、です。
「相手の方が思いやりがないし、
あちらからそれを見せるべきだ」
と感じるなら尚更、
自分に立ち返りましょう。
まず自分が本当にそれができているのかを考えましょう。
今回は怒りを例にしましたが、
不安や恐怖も同じです。
「外側」がこうだから、ああだから、
私は不安なのだ(怖いのだ)、
という方程式は、本来はありません。
また別の回でお話していこうと思います。