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誰もがつけている「メガネ」の話

(2021年8月 ブログ投稿)




今回はは少し難しいお話かもしれませんが、
本当は誰もが理解しておかなければならないトピックだと思います。
 

こういうものの見方が広がってくれると世界は変わっていくのではないかなと感じていますので、

興味のある方は是非お読みください。





私たちは、「自分の目」という

「特別なメガネ」で世界を見ています。

そのメガネには様々な「色」がついています。
どんな色をつけているかは、
私たちが生きてきた中で刷り込まれてきた(刷り込んできた)ものによって異なりますが、


その結果、
目の前に起きているものごとは

「人それぞれ」

「違う景色」

に見えています。

残念ながら

「透明でクリアー」なメガネをかけられている人はほとんどいない、
と言ってよいでしょう。


私たちは実際には皆、「別々の世界」を見ているのです。

でも、ほとんどの人がその認識はなく(あるいは非常に薄く)、
みんなが同じものを同じように見てると思い込んでいるため、
自分と他との「差異」に気づくことはなかなかありません。

しかし、実際には言葉一つを取っても、

言葉の意味合いそのものがかなり違っていたりします。

同じ言葉を使いながら全く違うものを指している場合だってあるのです。



(これは…ナカマ? エサ?)



例えば、色としての「赤」
赤という同じ言葉で指しているものは、ひとまず皆同じですよね。


でも、
もしかしたら見えている「赤色」は、私とあなたでは別の色なのかもしれない、
ということです。

同じ赤なのか、別の赤なのか、そこについては、誰にも証明できません。

私たちは、自分の目を通してしか、モノを見ることはできないからです。



抽象概念も同じこと。
ひとつの言葉の意味や、その意味する重みは、実際には人それぞれ違っています。

例えば、「誠実にやるのがモットーです」と言ったとして、
その「誠実さ」の意味合いは人それぞれ違っているわけです。

「責任感」と言っても、責任を感じる「度合」は人それぞれである

というのもわかりやすい例かと思います。

だからこそ、「話がかみ合わない」ということが起こります。

自分の感覚が「普通」であり「当たり前」であるため、
もしそれが一般的な基準と大幅に違っていたとしても、
それを認識しない限りそこに気づくことはないのです。

そして、多くの問題(人の悩み)はそこから生じているために、
そこが「難しさ」となっていきます。

 

 



(嚙み合わニャイ~~~)

 

 


例えば、
何かを指摘された時、
それだけで「責められた」「ダメ出しをされた」と思ってしまう状態。


これは多くの人に当てはまりますが、
「指摘される=ネガティブなもの」という刷り込み

がある(そういうメガネをかけている)ので
何を言われても「責められている」と感じてしまうのです。

極端な話、

「あなたの机の上にコップがありますね」と言われただけで
「ダメ出しをされてしまった」となり、
「こんなところに置いた私が悪かったのだ」となります。

指摘した方には一切責めるつもりなどなく、
ただ単に「コップがありますよね」という事実を指摘しただけだったとしても、
「責められた」「ダメ出しをされた」となるのです。


それはなぜかといえば、
「そういうメガネ」をかけているからなのです。

人間関係において、
これだけでいとも簡単に状況がこじれていく

ということがおわかりいただけるでしょうか。

このような場合、
まず「自分のメガネ」がどんなものであるかに気づかなくてはなりません。







「母親にいつも責められる」
というお話をしている方がいました。

でも、よくよく聞いていると、お母さんには特にそんなつもりはなかったりします。

しかし、幼いころからそういう経験が多ければ、
お母さんから何かを言われると

すべてが自動的に「責められているように聞こえる」という状態になってしまいます。

するとそれは

母親との会話に限らず、
人間関係すべてに派生していく
のです。

誰かに何かを言われると、
それだけで責められているように聞こえてしまう。


何かが起こると「私のせいではないか」と過剰に考えてしまう。
 

「ごめんなさい」が口癖になる。


これは「被害妄想」あるいは「自意識過剰」ともいえますが、
その結果、
当然ながら人間関係全般がうまくいかなくなりますし、
人から「責められる」シチュエーションを呼び込むことにもなってしまいます。





(ちょっと疲れたので目をつぶります。。。)

 

 

 

 

【ただ事実を見る、ということ】


洋服のボタンをかけ違えていた

とします。


それに気づいていなかったとして、

「ボタンをかけ違えていますよ」と言われたら、

「あら、ほんとだ、教えてくれてありがとう」

と、かけ直せばいいだけ。



ただ、それだけなんです。


そこにそれ以上の感情やジャッジは必要ありません。


ところが、

「なんてことをしていたんだ。。。」と思ったり


「なんて恥ずかしいことだ」と思ったり、
 

「こんなこともできない自分はダメな人間だ」と思ったり


けっこうやりがちですよね(笑)


ただ直せばいいだけ、なのに。



そういう反応をしてしまうのはなぜなのでしょうか。

「何かが起きたら、自分のせいだ」というメガネをかけていたり


「正しくなければならない」というメガネをかけていたり
 

「失敗などしてはならない、優等生でいなくてはならない」

というメガネをかけていたり


そういう様々なメガネを無意識にかけていることによって、
「余計な反応」をしてしまうのです。


私たちの心はそうやって拗れていって、複雑化していきます。

何度も言いますが

「ただ直せばいい」だけなのに。。。。(苦笑)


ではなぜ

「ただ直せばいい」というだけのものとして見られなくなっているのか?

という問題が出てきます。


それは、親や先生などから「そういうもの」として刷り込まれ、

教えられてしまったからであるともいえます。

とはいえ、それを「採用」しなければよかったのですが、
(全然気にしない子って、いますよね(笑))

まじめな人ほどシリアスに受け取り、
そういった周りの大人の期待や要求に応えようとして、
そういう人たちと同じメガネを採用してしまいます。


結果として
自分が偏ったものの見方によって生成されたメガネで

がんじがらめになっていることに気づけないまま、

「これが当たり前」になってしまうのです。



もちろん、時と場合によっては

本当に誰かから「責められる」シチュエーションもあるでしょう。

でも、
自分自身を認めることができ、肯定できていれば、
たとえ本当に「責められた」のだとしても、
必要以上に責任を感じたり、

過剰反応はしないでいられるはずなのです。

ミスに対しては「ごめんなさい」と言ったとしても、
それ以上にいつまでも自分を責め続けたり、
逆に「あの人が私を責めた」と不満を持ち続けたりはしないで済むはず
です。

それができないのは、
自分がそのメガネのまま、

その人と同じように自分を責めているからなのです。


これは、すべてのことに当てはまります。

私たちは自分がかけているメガネによって世界を見ていることで、
問題や悩みを引き起こしているのです。



病気、悩み、不安、怖れ、、、

自分自身を悩ませる何かがある場合には、
私たちは自分の眼鏡がどんな色をしていて、

どういうモードになっているか、
知る必要があるのです。


もしかしたらそのメガネによって

とらえ方を間違ってしまっているのかもしれないし、
勘違いしているのかもしれないのです。


それでも私たちは

「自分が見ているものが正しい」
「自分はニュートラルにモノを見ている」


と思いがちです。

しかし

実際には誰もが「メガネ」をかけているのです。

それは正しいとか間違っているとか、
良いとか悪いということではなく、

ただそうである、

ということ。


そんなに深刻になる必要はない

ということでもあります。

「わ~~私は変な色のメガネをかけていたんだぁ~~~

なんてことだ~~( ;∀;)」

という風に、
ここでも自分を責めて、

「盛り上がってしまう」人はいますが…

でもそれ、いらないんですよね(笑)


気づけばメガネは変わるのですし、
「色メガネ」をかけないでいられる人なんて、いないのですから。


そして人生は、そういう経験をするためにあるともいえるのですから。
(最初からきれいなメガネをかけているなら、
人間になって色々体験してお勉強する必要なんて、ないんです)



あまりにもそういうことでくどくどと自分を責めてしまう人は、
自分に対するハードルが高く、
実際にはとてもプライドが高い

ということにも気づく必要があるかもしれません。

できないこと、
失敗することを許容できず、
とても「高いレベル」に自分の基準を置いている
ということだからです。

基準が高く、プライドが高ければ、
ちょっとでもそれより低い状態があったら、「ダメだし」ができます。
そして基準(及第点)より低いのですから、許容なんてできません。

もう少しリラックスして、
「いいじゃないできなくたって」
と思えたら、
それだけで世界は変わるのですが…。

向上心を持ってそこ(高い位置)を目標にするのは良いことですが、
今の自分の位置を否定して
「ここではだめだ、こんなところに自分がいるなんて許せない」
となっているのは、
本当の向上心ではありません。


まず、

今の自分の世界をそのまま見ること、
そしてそのまま受け入れてあげること。

自分の世界を本当に変えたいなら、そこからスタートです。

その上で、

いくらでもメガネを変えていくことはできます。

今の状態をそのまま受け止められるようになれば、
「どういうメガネに変えれば良いのか」が分かるからです。



あなたが今「問題だ」と思っているものについて、
どういうメガネをかけてそれを見ているのか、を見てみてください。

そのメガネは変えられないのではありません。

「変えられない」と思うのだとしたら、
それは「変えたくない自分がいる」
ということです。


変えたくないから、「変えられない」と思うようにしているのです。
(難しいですね(笑))

自分のメガネにこだわっていると、どんどん事態はこじれていってしまいます。

状況がより混乱していく
ストレスが溜まっていく
病気が深くなっていく




色々起こります(笑)


どうするかは、あなた次第。


私たちはいつでも、
世界を恐怖に満ちたものとして見ることもできるし、
幸せな暖かい世界を見ることもできる、


ということを覚えておきましょう。
(例え今、どんな状況があったとしても、です)

でも、

たとえうまくメガネを変えられなくても、
自分を責めるのはやめておきましょう(笑)


「そのうち変えられるよね」
と、リラックスすることが大事です。



(アタシはいつでもリラックス!)

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