No Pain, No Gain
※この記事は過去ブログでアップしたものを一部訂正したものです。(初稿2011年7月)
私のワークを受けたクライアントさんから
「裕子さんのセッションは、自分の現実が大きく動き始めるので、覚悟がないと辛いですね(苦笑)」と言われたことがあります。
そうですね。。。
確かにそうかもしれません。
でもそれは、私が何かをしているわけではなく、
本当の意味で自分に必要な変化を、その人自身が引き起こし始めたからです。
でも、それがないならば、逆にもったいないですよね。
だって、「変わりたい」と思って来られるわけですから…。
このコラムでも何度も話題に出ていますが、
自分に何か困ったことがあって、それを「変えたい」と本当に思うならば、それ相応の対価が必要になります。
つまり、「変わる」ということはそれだけエネルギーが必要であり、今まで見ないフリをしていた自分の「影」を見なければならなくなるということです。
本当の癒しの道は「no pain, no gain」だとよく言われます。
痛みがなければなにも得られない、ということです。
言葉は知っていても、実際にはどういうことだか理解できていない人も多く見受けられます。
実際に自分にそれが起こると受け入れきれないのです。
簡単な例え話をしましょう。
何年も放置して掃除もしなかった押し入れを大掃除する時のことを考えて下さい。
いらないものもゴミもたくさんありますね。
押し入れの隅々まで掃除をするには、一度全部引っ張り出さなければなりません。
最初は引っ張り出すだけで大変です。
そしてお部屋はぐちゃぐちゃになります。
古くてイヤな臭いのするゴミもあるかもしれないし、出しても出してもまだまだたくさん出てくるかもしれない。
「こんなの片付けられるんだろうか」って思いますよね。
でもちゃんと整理してゴミを捨てて、押し入れの中もきれいに拭いて、きれいに入れ直したら、
最後にはスッキリきれいになります。
頑張ってお掃除すればがんばった分だけ、きれいに見違えるようになりますね。
私のワークを受けていただくのはそれと同じことなのです。
押し入れの大掃除の1つ1つのステップが、現実世界で起こるだけです。
残念ですが、一足飛びに「あっという間に片付いた」なんていうことにはなりません。
残念ながら、そういう魔法はないのです…。
(もしそんな魔法でゴミを消してしまったら、後で大きな代償を払うことになります)
本当は「押し入れを大掃除してきれいにしたい」はずだったのに、
そのためにゴミを出し始めると、「目の前がゴミだらけでイヤだ」と訴えるようになります。
「辛い」とクライアントさんが言われる地点は、大抵そこです。
しかしそれは、「お掃除を始めました」ということですね。
その前は「お掃除をしたい」と言いつつも始めてすらいなかったのですから、良いことです。
そこできちんと取り組めば、早く片付くかもしれないですよね。
そのゴミをどうやって片付けるか、を考えることに意識をシフトできれば、ということです。
でも「このゴミ厭だな」とずっと眺めているだけでは、ゴミは片付かず、悪臭が漂い始めます。
ゴミを片付けるための行動を起こさなければ、お掃除は終わらないのです。
でも私たちはついついそれを厭がります。
ゴミを触るのも厭だったりして。。。自分が創り出したゴミなのに、です。
(トイレ掃除がイヤなのと似ていますね)
「いいや、もう一度しまってしまえ
と思ってしまったり。
(そんなことをしたら、もっとゴミが増えてしまいには溢れ出しますね)
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1人の人間の世界で起きていることは、世界で起きている出来事にリンクします。
全てのことは自分の内部で起きている出来事、
自分の身の周りの小さな世界で起きている出来事と繋がっているのです。
逆を言えば、
1人の世界が変われば、世界全体が変わる大きなきっかけになるということです。
でも私たちは、
自分自身の小さな世界にすら、なかなか本当に必要な変化を生み出せずにいます。
「何故自分の世界はこんなにも辛くて、うまくいかないことが起こるのだろう?」
と思っている方は、たくさんいますね。
それは何故なのでしょう。
世界(あるいは社会)を見てみましょう。
なぜ、今こんな世の中になっているのでしょうか。
公開するべき情報を公開しなかったり、
改ざんしたりごまかしたり、
「やります」と言ってやらなかったり、
おかしな言い訳をしたり。
自分の保身ばかり考えていたり。
なぜこんなことになっていると思いますか?
すべてはエゴの働きです。
無意識のうちに「自分」を優先し、
自分自身が自分の欲しいものを手に入れておくことができるように、
手放さずにいられるように、
自分にとって「都合の良い状態」を創り出すすためにはどうすればよいか、
という意識が働くのです。
実際にはそのエゴによって色々な選択をしたり、物事を解釈したりしているのです。
人間という生き物は、実にうまく自分を騙します。
だから、「私はそんなことはしていない」と誰もが思います。
エゴの強い人ほど、そうに言うでしょう。
意識的にしているのでしたら、話はとても簡単なのです。
自分は誰かに嫉妬している、誰かに意地悪をしている、
誰かを責めている、
自分の保身のためにごまかしていると、認められていたら、
もっと話はシンプルで、もっと簡単に解決できます。
全ては自分の状態をありのままに見ることから始まるからです。
そして何を正せば今そこにある問題を解決できるかが、見極められるからです。
私たちの魂がいた本来の世界と、この3次元の世界は全く違います。
本来の世界は、全てが調和している世界です。
なぜ調和できるのかと言えば、
「思ったことが即現実化」する世界であり、何も隠すことのできない世界だからです。
すべてがシースルーの世界です。
感情も、考えていることも、そして自分の実力も、特性も、何も隠せない、ありのままが露呈している世界です。
この3次元の世界がどうしてそうはならないのか。
それは、自分の内側と外側の状態が一致していないからであり、
エゴによって自分も周りもコントロールしてしまっている世界だからです。
その状態でもしもシースルーの世界に行ってしまったら、タイヘンなことになりますね。
「この人嫌い」って思いつつも、表面ではにっこり笑っていたとして、
あちらの世界ではそれは通用しなくなるということだからです。
「この人嫌い」と思っただけで、それは全部通じてしまいます。
でも、こういう想念を持たない状態になれば、
こんなに楽なことはありません。
そして全てがうまく調和できる世界になるのです。
では、そのエゴを手放せないのは何故なのか。
それは、「愛が足らないから」という一言に尽きると、とある人が書いていたのを思い出します。
全ての理由は「愛が足らないから」だと。
愛で満たされていたら、嫉妬も憎しみもなくなります。
愛で満たされていたら、自分のありのままの姿を認められ、
自分ができること、できないことを客観的に見極められ、
自分を含めて、誰が何をすれば一番うまくいくかがわかるようになります。
誰かにいじわるをしようなんて思うこともありません。
そして、自分のエゴによって自分の立場、やることを選択したりはしません。
エゴというのは「自我」であり、自分がこうなりたいという意識でもあります。
ですから、エゴが全くなかったとしたら、何も起こらなくなります。
つまり、エゴというのは悪い側面ばかりではないのです。
必要なエゴももちろんあります。
役に立つエゴ、必要なエゴもあるのです。
でも、今はまだ殆どの人が、
「手放すべきエゴ」をたくさん抱えています。
そしてそのエゴはとても巧妙に出来ているので、
それが手放すべきものだと気づかれないようになっているのです。
「これは必要なエゴだ」と自分に呪文のように言い聞かせているのです。
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世界が変わるためには、
一人一人がこの状態から抜け出すしかないのです。
この感情、考え方、やり方を手放せない人は、いつまでもこの世界にいることになります。
「厭だな」と思っているのは表面的な意識だけであり、
潜在意識下にある本当の自分は、
そうやって「困った困った」と言っている状態が都合が良いのです。
なぜならば、そうやっていれば、いつまでも「変わらずにすむ」からです。
だからこそ、
自分の世界に起きていることを「注意深く」見つめていく必要があります。
そして、少しずつではあっても必ずどこかに現れているメッセージに気づくことが出来れば、大きな痛手を被る前に、自分の内側に変化をもたらすことができます。
人間というのはどうしても、辛くならなければ変えられない、という性質を持っています。
だからこそ、現実が動いて、辛いことが起き始めたら「感謝しなさい」
ということが色々な本にも書かれているのですよね。
それは、重い腰を上げさせるために与えてもらった、大きな大きなチャンスだからです。
もしも、私のワークを受けたことによって、現実が動き始めたのだとしたら。
それを引き起こすことのできた自分自身に感謝して下さい。
それは、魂がシフトできる大きなチャンスであり、今までがんじがらめになって手放すことも気づくことも出来なかったことに目を向けられるようになったというサインなのです。
そして、早く抜け出したいと思ったら。
そこを見つめて、片付け始めることです。
実は片付けずに今まで来てしまった、ということを認めて、少しずつで良いから片付けることです。
長い間溜め込んでいたのであれば、片付けるのは大変ですが、やっていけば、必ず片付いていきます。
その成果は確実に、自分のもとに返って来るのです。