【本の紹介】『病気が教えてくれる、病気の治し方』~病の意味~
※こちらの記事は過去ブログ「クラシカルホメオパシーのある生活」で書いたものをわかりやすくまとめたものです。
(初稿2011年10月。3回に分けて投稿したものをまとめています)
病気からくるメッセージは、いったいどういうものなのか?
その問いに大きなヒントを与えてくれる本があります。
『病気が教えてくれる 病気の治し方』
トアヴァルト・デトレフゼン/リューディガー・ダールケ 共著
これは私の中でイチオシの本です。
とても大事な視点がわかりやすく解説してあります。
一時期絶版になっており、非常に残念に思っていましたが、復活したようです。
この本は、「病」というものの本質的な意味が書いてあります。
体に現れた「症状」というのは結果に過ぎず、
「何らかの原因があって起こるもの」というホリスティックな観点に立ち、
その症状の意味を解説しています。
病気をケミカルな観点、機能的観点から見ることは一旦脇において、
人間を精神と身体の統一体として捉え、病気を「解釈」することによって治癒の方向性を模索しています。
冒頭文には
『病気の症状とは心の葛藤が体に現れたものなので、
症状の持つ象徴的な意味を知れば、病人の問題がどこにあるかがわかる』
とあります。
本質的な要因をズバリと言い当てているので、読んでいるとギクッとすることもあるかもしれません。
でも、この本に書いてある視点は、ホメオパシーを理解する上でも非常に重要だと感じています。
「病気」それだけを見るのではなく、
それを引き起こしたバックグラウンド、
そして本質的な意味でその人には何が必要なのかということを理解するきっかけを与えてくれます。
体に現れた何らかの症状は、すべて「結果」にすぎません。
人間の内面が持つ何らかのストレスや状態の反映なのです。
または、「症状」という言語を使って、その人本人の状態を表したものであるとも言えます。
キネシオロジーは経絡バランスを整える療法ですが、
体の気の流れである「経絡」にも感情が対応しており、各臓器もそれぞれ感情が対応しています。
生体のバランスが崩れれば、
その感情に対応している経絡のバランスが崩れたり、臓器に影響が現れたりします。
(例えば、怒りを溜め込んでいれば肝臓を悪くし、不安や心配を溜め込めば胃が悪くなります)
何かが起こった時、
自分が「必要としているもの」や、
「どうすれば良いのか」ということにきちんと気づいていたり、
受け入れられていれば、病気にはなりません。
「病気」「症状」という言語で、それを表現する必要がないからです。
でも、それが出来ずにいると、最終的には症状(病気)となって現れます。
そうやって自分で自分に「気づいてちょうだい」と話しかけているのです。
例えば、ゆっくりと内面を見つめ直すべきなのに、
それをせずに忙しくして動き回っていると、結果的に「動けなくなる」ような状態が起こることがあります。
どうしてかといえば、
忙しいのは落ち着いて自分自身を見たくなくて創りだしていた現象なので、
どうしても動けなくなることによって、結果的に静かに考えなければならない状態に強引に引き戻すということです。
病気を引き起こすことで、自分で自分を矯正しているとも言えるかもしれません。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
私の息子はぜん息でした。
今はすっかり元気な息子も、
ホメオパシーにたどり着く前は、アトピーにぜん息にアレルギーに、
風邪も引きやすくてしょっちゅう熱を出し、と、
日々あちこちの病院に通い、そして薬漬けの生活でした。
彼は小学校に上がってから、ぜん息が一気に酷くなりました。
自由に自分を表現できていた幼稚園とはあまりにも違う環境に、ストレスが倍増したからです。
この本を読むと、ぜん息は、
『「受け入れたくない」何かがあることを意味する、』とあります。
それを吐き出したいが故に、咳が出る。
飲み込まず(受け入れず)に、咳によって吐き出してしまおうとしている。
呼吸が困難になり、うまく息が吸えない。
つまり、「吸って」自分の中に入れられないのです。
息子が、彼の中での「ストレス」にさらされるととたんに咳が出ていたというのも、これを読むとうなずけます。
彼は常に、「自分の好きなように」生きていたかったのです…
(まあ、誰でもそうなのですが、かなりその傾向が強かったと思います;)
普通は一般的なルールを学んでいくと、そこに自分を合わせられるようになりますが、
彼はなかなか出来るようになりませんでした。
「自分らしさ」を主張できるのは本来はとても良いことですが、
学校での集団生活では、なかなかそうも言っていられない面がありますので、結果としてぜん息がひどくなったのです。
もちろん彼なりに頑張ってはいましたが、
「本当は受け入れられていない」という状態が強くなるにつれ、ぜん息はどんどん酷くなりました。
アタマでは一応「やらなければいけない」とわかるようになったことで、
我慢が出来るようになり、結果として余計に症状が悪化したのです。
なので、
「やらなければならないこと」や
「自分のやりたいことを妨げること」があると、咳が出ていました。
そして心配や不安なことがあれば、また咳が出る。
理性では受け入れていても、本当の意味では受け入れられていない。
だから体が症状として表現するのです。
まだ私に今のような知識がない頃に、
『ぜん息の子供は自立できていないので、自律を促すために一人部屋などを用意するといい』
という話を聞いたことがありました。
自立を促すためになるべく放っておいて、
少々咳が出ても、自分でなんとかするように仕向けた方がいい、というような話でした。
その時は「ぜん息で咳が出るのになんてかわいそうな」と思いましたが、
息子を見ていて、その通りだなと感じるようになりました。
ぜん息の子は、咳で自分の要求を通そうとしているのです。
つまり、咳で周りの人間をコントロールするのです。
「受け入れたくないこと」を「受け入れないままでいられる」ように。
咳をする本人は、そんなことはちっとも考えてはいません。
無意識から引き起こされる現象だからです。
でも、無意識であるからこそ、
その「咳」が自分の言葉にならない「言葉」であることに気づいていないからこそ、
出てくるものであると言えます。
もしそこに気づくことができれば、咳は出ないのです。
なぜならば、咳はその状態を「知らせる」ための「シグナル」だから。
ぜん息の子が咳き込んでいれば、周りは心配します。
母親である私も、当然心配し、
息子にとってみれば「ママがかまってくれる、注目してくれる」という状況になります。
例えば宿題をやらなければならなかったのがやらなくて良くなり、
みんなで色々介抱してくれて、やさしくしてくれる。
もっと咳がヒドくなったら、「学校も休める」。。。
学校を休んで、のんびり好きなことだけできる。
つまり、
イヤなことはやらなくて良くなり、
自分の受け入れたいものだけ受け入れればいいようになる。
だから、困ったら「咳をする」。
厳しいようですが、本質的な部分を見るとそういうことになるのです。
息子はまさに、典型的なモデルだったかもしれません。。。
その証拠に、本当にやりたいことをやっている時は、咳が出ませんでした。
わかりやすくて、笑ってしまうほどでした。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
この本には、「病は人を正直にする」と書いてあります。
なぜならば、
人間は自分の内面の本当の気持ちは抑え込んでしまうのに、体の症状のことは正直に話すからです。
私たちは、
「実はその症状の裏側に本当の自分の内面の状態が隠されている」などとは考えず、
あちこちの不調を正直に話します。
だから病は人を正直にしている、ということなのです。
この観点から生み出される視点で考えると、
自分自身の状態を理解し、
その先に進むには、病気を「ウィルスが侵入した」「感染した」せいにするのではなく、
それに感染する状態になっていた「自分」に目を向けることが必要であるということになります。
つまり、「なぜそれに反応し、結果としてその症状が出ているのか」ということです。
全ての人がそのウィルスに感染する訳ではないのだから、ある意味当然と言えるかもしれません。
そして、ホメオパシーはその観点に立って病を見るので、
病気になった原因を「ウィルス」のせいにはしないのです。
その病気になってしまう「原因」となっていた状態に対して、
それを解放してバランスの取れた状態を取り戻せるようにレメディーを選びます。
レメディーは、体が「シグナル」として表現していた症状を元に、
「今どんな状態であるか」ということを生体自身が気づくための情報を与えてくれます。
シグナルだけでは気づくことの出来ない状態になっている体に、もう少しわかりやすく「今の状態」を知らせてくれるのです。
正しいレメディーを取り入れることが出来て、自分の状態を正しく知ることが出来れば、
バランスを取り戻すための助けになります。
そうやって「治癒力」が本来の働きを取り戻し、
「原因」が解決され、心身が調和を取り戻せば、
当然ながらシグナルとしての症状は消えます。
困った状態はおのずと解決されるのです。
そういう意味では、事故も同じ扱いになる、と、この本には書いてあります。
「(自分は悪くなかったのに)あちらからぶつかってきた」と考えるのは、
「ウィルスが侵入してきた」という意見と同じということです。
どんな状況で自分に「気づかせよう」とするかは、自分次第。
厳しい話ですが、そういうことなんですよね。。。
その状態を引き起こした「自分」に目を向けること。
ウィルスや他人のせいにしてはいけない、ということです。
だからといって、例えばぶつかってきた人が悪くないということではありませんが;
そういうことをして良いわけでもありません。
でも、自分の身に起こったことは自分自身を表現しているものであり、
本来の調和を取り戻すためのシグナルである、という観点は、
病と健康の本質を理解する上で非常に大切なものであるといえます。
ホメオパシーというものが一体何であり、
レメディーが本来は何をするためのものであるか、という点を理解するためには、
非常に役に立つ本だと思います。
皆さんもぜひ読んでみてください。