やられたら、やりかえす?
(2020年9月ブログ投稿)
昨今、
「やられたらやり返す」
がキャッチフレーズのドラマが話題となっていますね(笑)
ドラマとしては面白いと思いますが、
「やられたらやり返す」
という意識について、
少しドラマからは離れて考えてみたいと思います。
(やったニャー!!)
皆さんはこの言葉を聞いて、何を思いますか?
「当然」
でしょうか。
「目には目を」というのは、
ある時代の人間にとっては必要だったかもしれません。
そういう罰則のような意識がないと、
「してはいけないこと」
をやってしまうような低い意識があったからです。
しかし、実際には、
この意識は非常に稚拙であり、本来は正当化できるものではない、
ということを認識しなければならないと思います。
お互いを思いやり、
他人の体にも心にも危害をくわえるようなことをしない、
という意識が「当然」であれば、このような考え方は必要ないのです。
私が中学生の頃はまだ、
部活で先輩が後輩をいじめたり、
必要以上に威張ったりというのはごく普通にありました。
これは、
「自分が後輩の時にやられたから、後輩ができたら同じようにやり返す」
という意識を「当然」とするものです。
これが当たり前に行われていました。
言い換えれば、
「当たり前の意識」でした。
しかし、
これは、本当に普通でしょうか?
当たり前でしょうか。
私にはどうしても納得できませんでした。
これを皆が「おかしなこと」と思わないこと自体に、
違和感しかありませんでした。
もちろん、
中学生の頃の1学年、2学年の差は心身ともに大きいものです。
部活動ですし、先輩が後輩に教えてあげることも必要です。
でもそれは、お互いにリスペクトした上で行われるべきものであり、
威張ったり、いじめたりということとは違うはずです。
もしも先輩としての「威厳」を保つためだと考えるのだとしたら、
そんなことをしないと威厳を保てないと思っていることが
「おかしい」のです。
年齢や立場、地位を振りかざして威張っても、
本来の信頼関係は構築できません。
私自身は後輩に威張ったり、
いじわるをしたりということを絶対にやらないようにしましたが、
こういったことが「当たり前」になっていたのは、
大人たちがそうだから、です。
いじめもそうです。
子どもだけに「いじめはダメ」なんて言ったところで、
大人同士が陰湿にやっているのですから、
話になりません。
会社の上司が部下に
先輩が後輩に
年上が年下に
姑が嫁に
親が子どもに
「自分の方が上である」という立場を利用して、
「指導」「しつけ」と称したいじめをしていますよね。
そういうことが当たり前に行われているのだから、
子どももやります。
大人のマネをして。
子どもは大人のやっていることを見て、
そういった意識を無意識に吸収するのです。
大人がまず意識を改めなければなりません。
(アタシ犬?ネコ?…たぶん人間。。。
だって人間見て育ってるから)
今の世の中は少なからず成熟してきていると思われますので、
昔ほどではなくなっていると思われますが、
それでもまだこのような意識が当然のように思っている人たちもいるのが事実です。
しかし、
「やられたらやり返す」のは、
良いことでも当たり前でもありません。
これをやることでなにか達成できると思っているのであれば、
なにか大きな勘違いをしています。
これは健全な思考とはかけ離れている行為である、
ということをしっかりと認識する必要があります。
いじわるをする人、
やたらに威張る人は、幸せではありません。
心のバランスが崩れている、
すなわち心が健康ではないのです。
そして幸せな人は誰かにいじわるをしたり、陥れたりしません。
しようとは思わない、
やり返そうとは思わないのです。
心が健康ならば、
自分が嫌な思いをしたのだから、
同じ立場に立った人も同じ思いをすれば良い、
そうするべきだ、
とは決して考えません。
健全ではないことが普通に行われている社会なら、
その社会が、そのコミュニティが病んでいるということです。
(家庭であれ、会社であれ、部活であれ)
例のドラマのようなことが普通にビジネスの中で起きているなら、
世の中の会社は病んでいる、
世の中そのものが病んでいる、
そして私たちの意識がまだまだ未熟である、
ということなのだと思います。
やられて嫌だったことはやらない。
自分がやられたら嫌だなと思うことはやらない。
(相手が誰であれ)
これが健全なマインドです。
もちろん、
こういった類の辛い経験というのは誰にでもあると思います。
(私にもあります)
でもそこでどういう態度を取るかは、人それぞれです。
やられたらやり返すを繰り返していたら、
「終わらない」のです。
終わらないだけでなく、
繰り返すほどに自分の精神も病んでいきます。
その分自分が病気になり、損をするだけです。
自分が悔しい思いを「させられた」ことがあるからと言って、
同じ思いをさせて何になるのでしょう?
やり返したら「スッキリ」するから、
というなら、
その意識が病んでいるのだ、
ということに気づかなければなりません。
そもそも「そういう思いをさせられた」という視点自体が、
「人のせいにしている」ということなのです。
たとえやり返しても、本当の意味では「仕返し」になどなりません。
仕返しにならないだけでなく、やがては再び自分に戻ってきてしまいます。
やり返さなくても、
やがては元の人のところに還ってきて、
その人が自らそのエネルギーの責任を取ることになります。
こちらがやり返すことが「目には目を」ということではないのです。
自然にそうなる、というだけのこと。
自分の出したエネルギーの後始末は自分ですることになるのが
『宇宙の法則』だからです。
さらにはやった分だけ「宿題」を背負うのです。間違いなく。
倍返しなんてしたら、
倍の倍で自分に戻ってきますので…(笑)
それでも良ければ倍返しすればよいと思いますが(笑)、
本当はもっと意識の高いやり方で
「昇華する」ことをお勧めしたいと思います。
もちろん、すごくつらい思いや悔しい思いをした時には、
やり返したい気持ちになることもあると思います。
その時は、
本来の心の健康を取り戻すことを最優先に考えてください。
自分のために。
自分を自らいじめるようなことはやめましょう。
心の健康を取り戻せたら、
そんなことをする人のことなど、どうでもよくなります。
そこに囚われているということは、
相手と同じ土俵に立ってしまっているということになりますが、
心が健康であれば、
同じ土俵にいることを辞めることができ、
全く違うところからそれを眺めることができるのです。
(そろそろ土俵を変えて違う星に行こうかと思いマス)